暮れぬまの

暮れぬまの 身をば思はで 人の世の
あわれを知るぞ かつははかなき    紫式部

まだ人生の日暮れを迎えないだけの私なのに
人の死の悲しみをしるというのも また儚いものなのですね




昨日、義兄の四十九日の法要に行ってまいりました
昨年の11月末にお見舞いに行き12月10日に告別式
そして、昨日が四十九日。。。。

空蝉の人の世の儚さが身に沁みます


実家が京都で義姉もしっかりと亡き姑の日日の法要の作法というのか
踏襲されておりまして
昨今では七日、七日の法要は省くおうちも多いそうですが
きっちりとされていてお坊様も感心され終わりのお説教の中で
そのように仰っておりました

昔々から下世話な話ですが「地獄の沙汰も金次第」とか言いますが
私は亡きがらに六文銭をおいているのに。。。どこがそうなんだろうか?

と。。。。今回義兄の事で妻の義姉の法要を見てますと。。
これなんだ。。。法要はえげつない言い方ですがお布施などやその他諸々で
お金が飛んでいきます。。一周忌を終えるまでは

お坊様も常から懇意にしている檀家さん、丁寧な法要をされるお家には
やはりね。。。お経もかなりのものだなぁ。。
四十九日の意味もお話してくださいました
私はただ四十九日だから。。と、思っているだけでした



聴く話で亡くなった方は自分では動けないから
この世の生きている者が法要をしてあげると成仏されると
高い位にいかれるとか。。分かりませんが(仏教的に)

勿論法要に参列する私共もご仏前とお供えを持参します

暮れぬまの_e0417510_18543391.jpg
この和菓子は義兄の一人息子さんが粗供養の一つとして配られました
帰りは大きな袋となります

今時このような丁寧なことは。。。
多分一人息子にこのようにするのよ。。と、義姉が見せている?
のではないか。。。とオットと話していました。


それで、我が家はここまでの丁寧さは
子供が可哀そう。。。(そこまで遺せないしその事が大変だから)
親戚や家族の形態が違ってきていますのでねぇ。。
(そして、風習が廃れていくのでしょう)

何もしなくてよいと遺言を書いておこう!
と。。。この機会に話しておりましたと、結びます  by結う










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by koito_hari616 | 2020-01-27 19:37 | 日々のこと | Comments(0)

シンプルに好きなものを結んで生きたい


by 結う